文化年間、法道仙人が毘沙門天のお告げによって創建されたとされる修験の寺・国の重要文化財
志染町大谷にあり、志染川をはさんで、志染の窟屋の反対側に、このあたりでは数すくない修験道の寺がある。寺伝によると、法道仙人が毘沙門天のおつげで、大化年間(七世紀半ごろ)に創建したといわれ、中世にはかなり栄えたらしい。しかし秀吉の三木城攻撃のとき、ここの東南にある丹生山明要寺とともに兵火にかかって一山ことごとく焼失してしまった。その後江戸時代に姫路城主池田輝政や明石城主小笠原忠真らに帰依され、一部が再建されて現在にいたっている。
体育の日は関西一円の修験者が山伏姿で集まり全山にこだまするホラの音、もうもうと立ちこめる煙の大護摩で参拝者が各地から集まる。
花山天皇の行幸もあり、全盛時代は数十の堂宇、百三十余の坊があったといわれている。





