コピーライト
三木市ちょっとおもしろ話

声
   

ラフカディオハーンが世界に紹介
  三木城主、別所長治は、7500騎をもって1年10ヶ月籠城しましたが、羽柴秀吉の兵糧攻めに降伏し、城主一族は、自害して果てました。その時、別所長治23歳、照子夫人は22歳でした。
夫人の辞世


もろともに 消え果つるこそ うれしけれ
おくれ先立つ ならいなる世に


(二人一緒に死ねることは、まずないことなのに、私達はともに逝ける、なんとうれしいことよ。)

この辞世を、ラフカディオハーン(小泉八雲)は、秀れた日本の武人の妻の作として、東西文学評論の中で英訳して世界に紹介しています。
How sweet to pass away together, to die together,in this world of ours where the clock which strikes the Supreme hour, is almost always too fast for one, or too slow for the other.


臼稲荷と不思議な木
  ある干害の年に、村人が田に水を溜める水の出口に古い石臼を置いて、水の取り合いをしていたのを、白衣の老人に化した狐がすべての臼を取り除き、水を均等に配分しました。これを恥じた村人が石臼を奉納したのが、伽耶院の境内にある臼稲荷であると伝えられています。この臼稲荷のそばに、どのようにしてか、臼をひとつ抱え込んだ不思議な木があります。


写真

イラスト


一六夜(いざよい)日記と近世儒学の祖
平安時代、千載和歌集の撰者藤原俊成は、和歌所の奉邑として三木の細川の里を賜り、定家は源実朝の歌の師であったため、細川庄地頭職の地位を与えられました。その子為家の死後、異母兄弟の間で荘園の相続争いがおこり、為家の後妻であった阿仏尼が鎌倉幕府へ訴訟の旅に出ますが、この道中記が「一六夜日記」です。その後、冷泉政為は、官を辞して細川庄に館を構えます。天正6年、羽柴秀吉の三木城攻めの時に、別所長治の呼びかけに冷泉為純が応じなかったため、焼討ちされ、逃げのびたその子為勝は加東の東条町で自刃しました。その為勝の弟が近世儒学の祖といわれる三木出身の大学者、藤原惺窩です。