戦国時代、三木城主別所長治の家臣であった藤田河内守広興が、武運長久を祈願して延徳3年(1491)に創建したとされます。その後、万治年間(1658-60)に、上吉川の天津神社にあった仏像を本社の奥に安置して、奥の院と呼んだとも言われています。後年、天保3年(1832)に再建して、現在に至っています。
古い時代のこととして、「美嚢郡誌」には、この村の久右衛門が、妻が無事出産したことを喜び、この地に、山城国の男山から分霊して若宮神社を建てたと述べられています。
毎年10月の第一日曜日に、神楽歌を歌いながら境内を進み、その掛け声からヤホー神事と名付けられた秋祭りが開催されます。県の重要無形民族文化財に指定されています。