創建は文明11年(1479)と伝えられ、天正7年三木合戦の兵火により全焼し、廃寺になったと伝えられていますが詳らかではありません。
慶長6年(1601)姫路城主池田輝政の家老となった伊木豊後守忠次が三木の城主となったとき、先君池田勝入斉信輝の追善のため、日山和尚を請じて伽藍を建立し、護国山勝人寺と号して伊木氏の菩提寺となりました。
現在は正入寺と寺号が変っていますが、この寺域はもと別所氏居城時代は三木城の城地内で、平山丸とも称されていたらしく、城主別所長治の舎弟別所小八郎治定の居館があったところと伝えられています。