菅原宗賢の事績
鎌倉時代の中期 三木町大塚の医師 菅原宗賢は晩年 諸国行脚の旅に出ました
ある年の暮れ高砂の石の宝殿で一人の旅僧と出合い 意気投合し 二人で旅をし その途中 宗賢の家に立寄り正月を共に過ごしました
再び旅に出た二人は 鎌倉の手前で御輿を担いで出迎えに来たりっぱな一行に出合います
宗賢はその旅僧が前の執権北条時頼であることを知り今までの無礼を詫びましたが 逆に時頼に謝意を述べられ鎌倉へ迎えられました
宗賢が帰郷の際 時頼は土産として三木の地を永代無年貢地とする書状を与えました
後年 三木城を攻略した羽柴秀吉もこれを知り 永代赦免地として認め 江戸時代末期まで続きました
大塚町の菅原家は宗賢の末裔であると伝えられています
宗賢は荒れ地の 開墾 溜池の築造 に力を注ぎこの地に宗賢池を造りました
この度駅前広場となる に当たり その事績に感謝し記念碑を建立します。